「揚羽(あげは)、今日の予定はどうなってる?」
 ----七月ももう半ばを過ぎた日の朝、眩しい陽射しが窓辺に降りそそいでいた。
 紫(むらさき)は久しぶりに朝食を共にした揚羽に尋ねた。
 「えっ.....と、今日は学校が半日だから友達と買い物に行く約束をしてるけど....」
 期末テストや一学期の授業も殆ど終わり、あと数日で揚羽の通う高校は夏休みに入る。
 そして、明日は紫の誕生日ということで、揚羽は内緒でプレゼントを買いに行くつもりだった。
 「そうか、じゃ用事が済んだら俺の携帯に電話しろ。迎えに行くから」
 「えっ!?」
 まさかプレゼントのことを感づいたのだろうか。
 とまどう揚羽だったが、紫は意にも介さないように続けた。
 「昨日やっと原稿が上がったから、何かうまいものでも食いに行こう」
 「う、うん....」
 本当は明日に備えてささやかなパーティー料理の下拵えをしようと思っていたのだが、普段外食を嫌う紫のせっかくの誘いを断るわけにもいかなかった。

 「揚羽さん、遅れますよ」
 キッチンの奥から、お手伝いのマサが明るく声をかけてくれる。
 「あ、はーい」
 慌てて立ち上がる。
 「後片付けは私がやりますから、もう行ってらっしゃい」
 「ごめんなさい。お願いします。じゃ、叔父さん、マサさん、行って来ます」
 「ああ、じゃ揚羽、ちゃんと連絡しろよ」
 急ぎ足で部屋を出ていく揚羽の後ろ姿を見つめながら、紫はふっとため息をついた。

 彼の10歳年下の姪である揚羽を引き取って、約1年が経とうとしていた。
 突然の事故で亡くなった姉夫婦の忘れ形見に、親戚中の誰も手を差し延べようとしなかったあの日、紫はたったひとり揚羽を守る決意をした。
 紫のもとで暮らすようになってからは両親を失った悲しみも次第に癒え、揚羽にはようやく笑顔が戻りつつあった。
 そして紫と揚羽は、互いに叔父と姪以上の感情を抱きながら、それ以上先に進むこともできずにいたのだった。

 「揚羽さんももうすぐ夏休みですねえ」
 マサが食後のコーヒーをいれながら話しかける。
 「そうですね」
 「紫さん、そういえば例の話、そろそろ決まるんじゃないですか?」
 マサの言葉に紫は苦笑いをした。
 「まあ、どうってことはないですよ。取ったら取ったで面倒なことになりそうだし」
 「またそんなことおっしゃって」
 紫は、熱いブラックを一気に飲み干した。
 「いや、ほんとに。まわりが騒がしくなるのは参るんでね」
 マサは相変わらず無愛想な紫にため息をつきながら、やれやれという風にキッチンに戻っていった。

 作家という職業柄なのか、もともとの性格なのか、紫にはどこか人を遠ざけるような雰囲気があった。
 気鋭の新進作家として、またそのルックスからも話題性は十分で、取材やテレビ出演の依頼は引きもきらなかったが、わずかな義理がらみの仕事をのぞいては、たいていの露出は断ってきた。
 しかし、紫のクールな風貌はミステリアスなものに映るようで、熱烈なファンも多かった。

 ダイニングテーブルを離れ、紫はシャワーを浴びにドアを開けた。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆



 放課後、友達の真由子とともに買い物を終えた揚羽は、朝の約束どおり紫の携帯に電話をかけた。
 駅近くのパーキングの所で待ち合わせをすることになった。
 「揚羽、今夜は叔父さんとデートなの?」
 冷やかしながら言う真由子に、揚羽は慌てて答えた。
 「そんなんじゃないよ。ただやっと原稿があがったから美味しいもの食べに行こうって....」
 「はいはい、うらやましいわよ。全く。きっと豪勢な食事なんだろうな〜」
 うっとりと呟く真由子を見て、
 「じゃあ、一緒に行く?」
 と揚羽は誘ってみる。
 「冗談でしょ。お邪魔虫になるのはまっぴらだもん」
 「もう、だからほんとにただの食事なんだって」
 ムキになる揚羽に笑いかけながら、真由子はじゃまたね、と手を振り駅に向かって行った。
 少々ミーハーだが、揚羽が転校してきて以来何かと親身になってくれる優しい友人だ。
 
 しばらくして、紫が現れた。
 今日はディアブロで乗りつけ、相変わらず無意識に周りの注目を集めてしまっている。
 「揚羽、乗れ」
 
 揚羽が乗り込むと、車は静かに走り出した。
 夕闇が迫る街の中をランボルギーニが駆け抜けていく。
 「着いたらあれに着替えろ」
 後部シートに衣装箱が見える。
 どうやらドレスか何かのようだ。
 紫が向かったのは、テレビなどでも話題になっている一流ホテルのレストランだった。

 すでに予約がしてあったらしく、サービスマンが丁寧に応対する。
 シルクの淡い紫色のワンピースに身を包んだ揚羽は、紫に腕を差し出され、恥じらいながらもそれに手を添えた。
 それほどマスコミに登場しているわけでもないのに、近頃では紫の顔が知れ渡り始めていた。
 女性同伴では何を噂されるかもわからない。
 ふたりは個室の席に案内された。

 「久しぶりだな、外で食事するのも」
 食前酒のシャンパンが運ばれてきて、揚羽のグラスにも琥珀色の液体が注がれた。
 「叔父さん、車なのに、お酒....大丈夫?」
 紫はふっと微笑した。
 「無粋なことを言うなよ。年に一度の誕生日くらい美味い酒や料理を楽しんだっていい」
 「......えっ!?」
 揚羽は耳を疑った。
 紫の誕生日は明日ではなかったのか....。
 「叔父さんの誕生日は7月18日って、雑誌に載ってたのに....」
 「ああ、あれは誤植だ。どうでもいいことだから放っておいた」
 小さいながらもお祝いをしようと思っていた揚羽は、少しがっかりしたが、気を取り直してプレゼントを渡すことにした。
 「あ、あのね。プレゼントがあるの。すごくささやかなものだけど」
 揚羽は、紫色の石をはめこんだネクタイピンの入った箱を取り出した。
 本当は明日、これと一緒にケーキを焼いて渡すつもりだったのだ。
 「・・・・一応気にかけてくれていたのか」
 めったに笑わない紫が嬉しそうに包みを開けた。
 「ありがとう」
 喜んでくれたようで、揚羽も嬉しかった。
 
 そして、次々に料理が運ばれてきて、紫はワインを空けつつ、料理を平らげていった。
 ふたりの楽しい時間を愛おしみながら、揚羽も美味なる料理を口に運んでいく。

 デザートと食後のコーヒーが運ばれ、後はごゆっくりお過ごしくださいという感じで、ウェイターも姿を見せなくなった。
 少し酔いがまわったのか、紫は揚羽の目をじっと見つめた。
 
 揚羽には紫の視線が痛かった。
 何もかもを吸い込んでしまうような強い光。
 まるで射すくめられてしまったかのように、身体が動かない。
 
 「揚羽....」
 突然名前を呼ばれ、心臓が音を立てる。
 「お前がうちに来て、もう1年が過ぎた。今までは死んだ姉夫婦に多少義理だてるような気持ちも多少あったが、そろそろそれも終わりだ」
 「叔父さん......?」
 怪訝な表情を浮かべる揚羽に、紫が言った。
 「もう、そんな風に呼ぶな」
 紫は揚羽の肩に触れ、そして強く抱きしめた。
 「揚羽、今夜おまえを俺のものにしたい....」
 「......!」
 紫の腕の中でふるえていた揚羽は、突然の言葉に身を固くした。
 「お前を抱きたい....嫌か?」

 まっすぐな深い瞳に捉えられ、揚羽は首を振った。
 「....私もずっと、こうして欲しかった......」
 
 紫は揚羽の顎を優しく持ち上げ、キスをした。
 ワインの甘酸っぱい香りが揚羽の口の中に広がっていく。
 「たとえおまえが嫌だと言っても、どうしても触れたかった....」

 ふたりはレストランを後にして、ホテルの最上階の部屋に向かって行った。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆



 ダブルベッドの上で目覚めた揚羽の傍らに、紫はいなかった。
 シャワーを浴びているようだ。
 自分はどうやら少し眠ってしまったらしい。
 時計は夜9時半を回っていた。
 汗ばんでいたはずの身体がエアコンのせいでさらりと乾いていたが、身体の中心にまだ紫に貫かれた感触が残っている。
 今だに信じられない思いだった。

 叔父と姪....。
 道徳的にも社会的にも決して許されない関係。
 わかっていて、それでもなお揚羽は紫への思慕を止めることはできなかった。
 そして紫も同様に揚羽を愛していた。
 互いにひとりの男と女として......。

 ----誰にも渡さない----世間の中傷も非難も---何もお前に触れさせない----もう絶対に離さない----
 そう言って抱きしめられた日のことを思い出す。
 愛されている実感が揚羽の胸を満たしていた。


 「目が覚めたか」
 濡れた髪を拭きながら、ガウンを羽織った紫がやってきた。
 まともに顔を見ることができず、うつむく揚羽の髪を撫でる。

 すると、普段は殆どかかってくることのない紫の携帯が鳴った。
 日ごろ、人との接触をできる限り避けようとする紫は、揚羽やマサにしか番号を教えていないのだった。

 「もしもし」
 相手はマサだとわかっているので、何か緊急事態かと電話に出る。
 「・・・・ええ、そうですか。わかりました。・・・・じゃあ、こちらから連絡すればいいんですね。はい」
 紫の口調に慌てた様子がないので揚羽はほっとしたが、一応尋ねてみた。
 「どうしたの?」

 「・・・・『蝶の寝床』が直木賞を受賞したそうだ......。俺が昔から世話になってる編集長に連絡するように言われたよ」
 「......えっ!」
 作家として最も有名な賞のひとつである直木賞を受賞したと聞き、揚羽は驚いた。
 候補に上っていることなど何ひとつ教えてくれなかったのだ。
 そしてそんな賞を取ったというのに、喜ぶどころかむしろ浮かない表情をしている紫が不思議だった。
 「....嬉しくないの?」
 揚羽の言葉に、ふと我に返ったように紫は呟いた。
 「作家としては喜ぶべきことなんだろうが、今の俺には煩わしいだけだ」
 「......」
 険しく言い放つ紫の横顔を見つめ、揚羽は何も言えずにいた。
 紫はそんな揚羽を抱き寄せ、有無を言わさずに唇を奪った。

 再び、頭の中が真っ白になり、揚羽は紫の腕の中に崩れ落ちていった........。




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