最終章
自責の念と、到底すぐには癒えそうにもない傷を胸に抱えながら、巴は目覚めた。
男が男を愛するのは不思議だが、嫌悪感を抱いたわけではなかった。
それは長い間心を通わせた親友の口から出た悲痛な叫びだったからだろう。
何度考えても結論は同じだった。
上村が自分に向ける感情がどうであれ、上村というかけがえのない存在を失いたくはなかった。
だがしかし、彼の想いにこたえることができない自分がそれを望むのはわがままかもしれないと思う。
自分がそばにいることで傷つくのは上村の方ではないか・・・・・・。
とにかく、今のこの正直な気持ちを伝えて、後は上村の出方を待つしかない。
たとえどんな結果になったとしても・・・・・・。
そして、綾----------。
綾が誰を見つめていようと、誰を愛していようと、それを認めるのはとてつもなく辛いことではあるけれど、綾を好きだという思いは変わらなかった。
”恋愛なんて両想いにならなければ意味がない”
そう言い放った自分の言葉が頭の中を駆け巡る。
確かにそうだとは思う。
けれど、想いを胸に閉じ込めたまま、巴を気遣い、巴を見守ってきた上村の深遠で静かな情熱に触れ、人間にはそんな愛し方もあるのだと知った・・・・。
鳩羽に抱かれている綾の声を聞いたとき、全く身動きすることができなかった。
切なくて、苦しそうで、自分が今まで抱いたことのある女とは全く違うその声。
決して手の届かない、でも欲してやまない綾の愛情を自分のものにしたかった。
何者にも負けるものかと思っていた。
だが、人の心は決して思い通りにはならない。
今はまだあきらめることなどできないのだから、このまま想いつづける事しかできない。自分には・・・・・・・。
◆◆◆◆◆◆◆◆
一週間後の中間テストを控え、各クラブは一斉にテスト休みに入った。
上村は病気扱いで、寮の部屋には戻らず、医務補助室で寝食をとることになった。
実際微熱などはあったようだが、全寮制のこの学院では毎年必ず新入生の中に、同室の生徒と気が合わずこのような部屋に駆け込む者も少なくない。
上村もその類と判断されたようだった。
一人きりになった部屋で、巴は遅ればせながら試験勉強をはじめた。
鳩羽は総代の英絹とトップ争いをするほどの秀才だという。
だとしたら自分もせめて恥をかかない程度の成績を挙げなくては・・・・。
見えない相手にライバル心を燃やしながら、巴は何もかもを忘れる思いで勉強に打ち込んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「鳩羽、やったな」
男子寮の部屋に戻ってきた朱実は、椅子にもたれて煙草をふかしている鳩羽に向かって声をかけた。
-----あっという間に中間テスト期間が過ぎていった。
そして結果発表の日。
絹の高等部進学以来破られることのなかったトップ記録を、今回鳩羽が破り、絹は初の二位転落を喫した。
そのニュースは学院中を駆け巡り、一躍時の人となった鳩羽の噂は、当然ながら巴の耳にも入ってきた。
「ああ、まあな」
鳩羽はにこりともせずに煙を吐き出した。
「ライバル登場で奮起したってわけか?」
珍しく朱実がからかうような口ぶりで言う。
「・・・・あんな奴は関係ねえよ。まあ、あんまりにもまっすぐ向かってくるから、ちょっと羨ましい気もしたけどな」
「え?」
「たった二歳しか違わなくても、青いなって。・・・・どーせあきらめてねえんだろうな・・・・」
「何だよ、それ」
朱実が怪訝な表情をする。
「何でもない」
煙草を灰皿に押し付け、鳩羽はベッドに寝転んだ。
「余計なお世話かもしれないけど、綾には進路のこと話したのか?」
「いや・・・・なんかバタバタしててな」
朱実は淹れたてのコーヒーを手渡しながら言った。
「この間小耳に挟んだんだが、若狭の家の方で綾についてちょっと動きがありそうだぞ」
「どういうことだよ?」
「・・・・まだ確かな情報じゃないから、直接本人に聞けよ。話したい事もあるんだろ?」
鳩羽はふっと笑った。
「朱実、お前ってほんとにいい奴だよな。全く、人のことだとこんなに気が廻るのに、自分のことになるとだらしねえんだからよ」
「うるさいな。ほっとけ」
すねたように横を向く朱実の首に手を回し、ベッドに押し倒す。
「いいかげん、お前も本気出せよ」
「俺たちには俺たちのやり方があるからいいんだよ」
「まあ、それもそうだな。奪うばかりが能じゃないしな」
「へえ、おまえらしくない発言だな」
朱実がニヤニヤしながら言う。
「お前こそうるせえよ」
鳩羽は苦笑いしながら起き上がった。
「じゃあ、ぼちぼち俺の姫君のご機嫌でも伺いに行くかな・・・・」
◆◆◆◆◆◆◆◆
巴の成績はまずまずだった。
トップとまではいかないが、さすがに高等部からの編入組だけあって、上位に食い込むことができた。
上村も近い順位に名前が載っている。
無事にテストはクリアできたようだとほっとした。
教室に戻ってみると、同じ茶道部の女生徒がこちらにやってきた。
「巴くん、さっき綾先輩が来てたのよ」
「えっ!?」
巴は高鳴る胸を抑えながら言った。
「な、何の用事で?」
「あなた、特訓やってたでしょ? 最後の練習がまだだったから、もし空いてたら今日の放課後どうかって言ってたわよ」
「あ、ああそっか、サンキュ」
あの日以来、綾と顔を合わせるのは初めてだった。
まさか綾先輩が自分で出向いてくれるなんて・・・・・。
今日の放課後、か・・・・・
巴は戸惑いつつも、綾に伝えたい言葉を自分の頭の中で反芻した。
◆◆◆◆◆◆◆◆
綾はひとり放課後の茶室で、来るかどうかもわからない巴を待っていた。
程なく、巴は茶室の前に到着した。
あの日自分が耳にした、鳩羽と綾の交わる声を思い出し、ズキンと胸が痛む。
しかし今日の茶室は全く違っていて、差し込んだ明るい陽射しが入り口まで洩れていた。
開け放たれた襖の向こうには、背筋をまっすぐ伸ばして正座をする綾の横顔があった。
すっかりお茶を点てる準備も整っている。
・・・・きれいだな・・・・
巴は素直にそう思った。
入学式で綾をはじめて見かけて、まだほんの数ヶ月しか経っていないのに、もう随分前から綾を想っている気がする。
そんなことをぼんやり考えていたら、綾が巴に気付いた。
「巴くん、来られたのね」
綾は微笑んだ。まるであの日のことなどなかったかのように。
「あ、はい。今日は教室まで来てもらってすみません」
巴は慌てて会釈した。
「どういたしまして。・・・・じゃあ、早速だけど茶席に入ってください」
「は、はい」
いきなり練習が始まり、巴はタイミングを狂わされたが、素直に手順をこなしていった。
「どうぞ」
綾から手渡された椀を回し眺めながら、茶を飲み干す。
「・・・・結構なお点前でした」
椀を返し、再び茶席に戻った巴に向かって綾は言った。
「巴くん、ほんとに飲み込みが早かったわね。基本的なことはすっかりマスターできて・・・・」
「いえ、綾先輩の教え方が上手かったからです」
「・・・・特訓はこれで終わりにしようと思ってるけど・・・・茶道部を続けてくれる気はある?」
いきなり綾が切り出した。
「えっ」
驚いたような表情の巴を後目に、綾は続けた。
「この間は鳩羽くんが、あなたにひどいことをしてごめんなさい。どうしても謝りたかったの」
うつむき、謝罪をする綾の姿を見て、巴は複雑な気持ちになった。
あんなシーンを見られて恥ずかしく、自分と顔を合わせる事さえ辛いだろうに、特訓の約束を果たし、恋人の非道を詫びる・・・・。
綾の真摯な人間性に触れ、いっそう切なくなっていく。
「俺の方こそ、すみませんでした。自分の気持ちを押し付けるばかりで・・・・・。でも、俺、また前以上に綾先輩のことが好きになりました。勝手に心の中で想ってていいですか? それと、もちろん部活は続けます。綾先輩の美味いお茶飲みたいし」
「巴くん・・・・」
晴れやかに笑う巴の言葉に、綾は思わず尋ねた。
「どうして、そんなに私のことを・・・・?」
「え、いや、面と向かって聞かれると恥ずかしいけど・・・・・・」
巴は少し慌てながら、言った。
「はじめは、こんな綺麗な女性はじめて見たって思って・・・・それから茶道部に入ってみて、すごく部員の人たちに慕われてたり、かっこよくお茶を淹れてたり、人に対してすごく優しく接しているところとか、いいなぁって・・・・お姫様って呼ばれたりしてるのに、全然偉ぶってなくて、俺にとっては理想的な憧れの女性って言うか・・・・」
照れくさそうにまくし立てる巴を見て、綾は微笑した。
「・・・・ありがとう、そんな風に思ってくれて。でも、本当の私はそんな立派な人間じゃなくって、いろいろなしがらみに押しつぶされそうだったただの女の子なの・・・・。それに気付いてくれたのは従兄弟の龝でも友達でもなくて、鳩羽くんだけだった・・・・」
「・・・・・・」
鳩羽の名前が出てきて、巴の心に緊張が走った。
「あなたの言うとおり、私たちはじめはただの性愛だったかもしれない。・・・・でも、あんな強気で傲慢そうに見えるけど、私のことをいつも見守って助けてくれた。彼は私自身ですら意識してなかった心の空洞をいつの間にか満たしてくれていたの・・・・だから・・・・」
鳩羽について語る綾の言葉のひとつひとつが胸に刺さった。
「・・・・俺、綾先輩があの男にいいように翻弄されてる気がするっていうか、心が通じ合っていて欲しくないなんて思ってたんです。まあ、結局自分の願望が入ってたんですけど・・・・。 でも本当は違ってたんですね。あいつには他の誰にも見えない綾先輩が見えてたんですね・・・・」
巴はポツリと呟き、そして明るく言葉を返した。
「当分俺が入り込む余地が無いってのはわかりました。でも、しつこいけど俺、綾先輩のことどうしても好きだから、とりあえず心の中にしまっときます。それならいいでしょ?」
「・・・・ありがとう。ごめんなさい、巴くん」
綾は泣いたような・・・・笑ったような表情をした。
巴の中には、自分の想いをすべて綾に伝えることができたという清々しさが残った。
実らない恋だとしても・・・・こんな風に人を好きになってもいいじゃないか-------。
そして巴は、この想いがさらなる高みへ昇華していくのを、実感していた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
巴は自分が次に会って話すべき相手・上村を探しにいこうと茶室を出た。
長い間自分に対する想いを秘め、静かに見守ってくれた親友を失いたくない。
上村の恋愛感情に応えることはできないが、俺にはおまえが必要なのだと、自分勝手かもしれないが、ずっと親友でいたい、いさせて欲しい・・・・。
そのことを伝えに、巴は上村の姿を追いかけた。
あっさりと上村は医務補助室にいた。
心なしか少しやせたような気がする。
「上村、いつまでこんな所にいるんだよ。早く部屋に戻って来いよ」
「巴・・・・?」
入ってくるなりいきなり言い出した巴に、上村は驚いた。
「俺にはなぁ、お前以上の友達なんていないんだよ。お前がいないともう体の一部分が足りないみたいに、変な感じなんだよ」
「・・・・・・」
「俺は確かに綾先輩のことが好きだし、女以外とセックスする気もねえよ。でもな、人としていちばん大切で、一生付き合っていけると思ってるのはお前なんだよ。・・・・それじゃダメか?」
ぶっきらぼうに、まっすぐ自分の目を見て話す巴に、上村は胸が熱くなった。
目尻に涙がにじんでくる。
あんな告白をした以上、もう元に戻れるはずもないと思っていた。
嫌悪の情を向けられても仕方がないと思っていた。
だからこそひた隠しにしてきたのだ。
だが、自分の気持ちを知ってなお、巴は自分を受け入れてくれた。
そのことがたとえようもないほど嬉しかった・・・・。
「とっとと、戻ろーぜ。なんかここ消毒液くさいし」
「あたりまえだろ、医務室なんだから」
以前と変わらない巴の口調、自分に向ける眼差し・・・・・。
上村は、久しぶりに笑顔が戻るのを感じていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「あいつ、来てたのか?」
巴と入れ違いに、茶室にやってきた鳩羽は、静かに尋ねた。
「ええ、特訓の最終日がまだ済んでなかったから・・・・」
綾は簡単に急須に湯を注ぎ、一緒にお茶菓子を差し出した。
「で、なんだって?」
「・・・・秘密・・・・」
綾は、巴が自分に向けてくれた恋情を軽はずみに口には出したくなかった。
「何だよ、ちゃんと言えよ」
鳩羽は後ろから綾の肩を抱きしめた。
「これは私だけの胸にしまっておくべきことだから・・・・誰にも言わない」
綾はやんわりと拒絶した。
「あいつ、しつこそうだからな。お前のファンだって奴はいくらでもいるけど、真っ正直にたち向かってきやがって」
ふと、綾が呟いた。
「・・・・あなたが私のこと弄んでるように見えたって言ってたわ」
「なにい?」
鳩羽は眉をしかめて心外そうな顔をした。
「あいつ、やっぱりバカだな」
「えっ」
「綾に惑わされてるのは俺の方だっていうことが全然わかってねえよ」
「・・・・」
鳩羽の言葉にとまどう綾を、更に強く抱きしめる。
「何度抱いたって、俺の方がお前に夢中になってるのなんて、わかるわけねえよな。・・・・まあ、まだガキだから仕方ないか」
「・・・・鳩羽く・・・・ん」
名前を呼ぼうとした唇が塞がれていく。
綾も鳩羽も、互いに相手の胸に身を委ねていった。
(聖域・終わり)
←前の章へ
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||