エピローグ


 どれほど鳩羽を求め、抱きしめられても、終わることのない欲情が綾を支配していた。
 この短い時間の中で、いったい何度交わったことだろう。
 まるで見えない何かに突き動かされるように....。

 混濁した意識の中で、綾は今自分のなかに起きていることが何であれ、それは紛れもなく自分自身が望んでいたことなのだと感じていた。
 欲するがままに快楽を貪る母を心のどこかで軽蔑していたはずなのに、内に潜むこんなにも淫らな自分が暴かれてしまった....。
 だが、迷いさえ吹き飛ばすほどメチャクチャに愛する人を受け入れ、自らも悦びに溺れるということ......それがどういうことなのかはじめてわかったような気がした。
 皮肉にも、おそらくは母の策略ゆえに......。



 ......綾の中で燃えさかる嵐が、ようやく鎮まろうとしていた。
 鳩羽は気を失ったかのように横たわる綾の髪の毛を撫でた。

 「綾、もう戻ったのか....?」
 「..............!」
 正気にかえった綾はいたたまれず、目を伏せた。
 畳の上に着物や帯、碗や急須が散乱し、尋常でない様子がはっきりとわかる。

 身を固くしながら起き上がり、それらのものに向かおうとする綾を、鳩羽は後ろから抱きしめた。
 「何があったんだ」
 「..............」
 「俺にも言えないのか?」
 綾はかぶりを振った。

 「.......私、自分でもどうしてこんな風になったのかわからない.......ただ、頂き物のお茶を飲んでぼんやり考えごとをしてたら、急に力が抜けて、それで......」

 「....それで、あんなに乱れたわけか。すげえ、よかったよ。おまえの舌使い、今でも思い出したら興奮する」
 「......やめて!」

 羞恥をこらえきれずにうつむき、体を縮こませる綾に、鳩羽はフッと微笑した。
 「もういじめないから、こっち向けよ。 おまえがおかしくなったのは、その貰ったお茶かなんかにおかしなものでも入ってたんじゃねーのか?」
 
 「えっ......?」
 綾は鳩羽の方に振り返った。
 
 「俺がここに来たとき、いつもおまえが大事にしてた湯飲み茶碗が転がってた。普段のおまえなら考えられないことだろ?」
 「......でも、このお茶は.....」
 綾はその後に続く言葉を飲み込んだ。
 まさか母からの贈り物などとは言い難い。

 「まあ、何にせよ、俺はいつもと違ったおまえが見られてよかったぜ」
 「.........」
 
 「......ん? 何だよ?」
 泣きそうな顔で自分を見つめる綾に、鳩羽は問いかけた。
 「私のこと、イヤになったりしないの? こんなに恥ずかしいことして......」

 「はぁ? 何バカなこと言ってんだよ。俺はむしろ......おまえが俺の名前を呼びながらイったのが嬉しかったっていうか......やたらエロくって、綺麗だったっつーか......うまく言えねぇよ」

 「.......鳩羽くん......」
 「........とにかく、俺がおまえのことイヤになるとか、そういうのはありえない話だから、下らないこと考えるな。いいか?」
 小さく頷く綾の腰に手を回し、鳩羽は軽く綾にキスをした。
 
 「今度そのお茶とやらを、朱実に飲ませてみろよ。そうすりゃあいつらもどうにかなるかもしれないぜ」
 いたずらっ子のように笑いながら言う。

 「もう、そんな冗談言って......」
 母からの茶がもたらした出来事に大きなショックを受けていた綾だったが、鳩羽の軽口に少しだけ心が楽になるような気がした。

 けれどもやはり確かめなくてはならないのだと思う。
 なぜ母がそんなものを綾に託したのかを..........。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆




 「若狭綾さん、ご面会の方がいらしています」
 館内の放送が響き渡る。

 ----この数日、綾は逡巡を繰り返していた。
 母があのようなものを娘に飲ませたのは、一体何のためなのか....。
 それをどう母に切り出すべきか......。

 放送が鳴ったのは、そんな綾が意を決して母に対峙しようと決めたそのときだった。
 出鼻をくじかれた格好で、応接室へ向かう。
 
 誰がやってきたのか....はアナウンスされない。
 だが扉の向こうの人物が母であることは間違いないと、綾は思った。


 「綾さん、直接会うのは久しぶりね」
 「お母様.....」
 母は相変わらず美しかった。
 20代と言っても通用しそうな滑らかな白い肌。
 先日綾に送ってきた着物とよく似たデザインのものを優雅に着こなしている。

 「突然だけど、今日は近くまで来たから寄ってみたの。皆どうかしら? 絹も龝も元気なの?」
 母から絹と龝の名前が出た瞬間、一気に綾の心に爆発が起こった。

 絹の父を深く愛していたという母。
 叶わなかった思いへの復讐なのか、絹を奪い、そして綾がかつて最も大切に思っていた龝さえも自分の手にかけた......。
 そして何より、頂き物のお茶と偽って、実の娘に催淫剤を渡す行為......。
 今まで言いたくて言えなかった、複雑に入り乱れた愛憎の念が、綾の心の中で膨れ上がった。


 「......お母様、なぜあんなものを私に寄越したの? なぜお父様を振り返らずに自分の欲望に溺れるの?
......どうして絹や龝にまで自分の過去を押し付けるの!?」

 母は綾の激しい口調に圧倒されたが、やがてゆっくりと口を開いた。
 「そんなに一度に人を質問攻めにするものじゃないわ。落ち着きなさい」

 綾は母の返した言葉に苛立ちを感じつつも、冷静さを失っている自分に気がついた。
 「........」
 催淫剤のことはともかく、ある意味残酷な問いかけだったのかもしれない。
 綾は、自己嫌悪に陥った。
 「......ごめんなさい。言い過ぎたわ」

 母はふふ、と笑った。
 「相変わらず、あなたは優しいのね。自分がされたことを責めるより先に、相手を傷つけたと思ったらすぐに謝ったりして」

 「お母様.....」
 綾は、いつもと同じように妖艶に微笑む母の表情を見つめた。

 「わたくしはねぇ、綾さん、ただずっと女としての生き方に忠実に過ごしてきただけなのよ」
 「..........」

 「どんな女も好きな人と交わって、悦びを得ることができる。ただ大半の女性はくだらないモラルとか制約を自分に課したり縛られたりして、本来あるべき姿になっていないだけなのよ。結婚しているとか、していないとか、体を重ねる相手が自分とどういう係わりをもつのかなんて、そんなことは関係ないの。極限の高みに達したあなたならわかるでしょう? 「そう」なったらもうすべてのことが関係なくなるのよ」
 母は凛として綾に答えた。
 今までの生き方に揺るぎない自信を持っているのがわかる。

 「...だったら相手の気持ちはどうなるの? それにお母様が自由に振舞うことでお父様を傷つけているとは思わないの?」

 「今言ったとおり、わたくしはただの女として生きてきただけ....。男も女もときに愛のない快楽に身をゆだねることもあるわ。
お父様のことは......あの人はそういうわたくし自身をまるごと受け入れて愛してくださってるの。だからわたくしたちはある意味幸せな夫婦なのよ」

 綾は愕然とした。
 自分には窺い知れない愛のかたち......。
 母という女性は、自分とは全く違う、かけ離れた存在だと思う一方で、どこか似ているような、つながっているような気がした。それを認めたくはないけれど。

 「....あら、もうこんな時間。ほんの少しだけあなたの顔を見るつもりだったのに......。あなたの「お相手」のことも少しは知っているから、ちょっと教室でも覗いてみようかしら」

 「......!お母様」
 驚く綾に、
 「ふふ、冗談よ。もう帰るわ。電話でも言ったけど、夏休みには家に帰ってらっしゃい」
 「お母様、それはどういう........」

 更に尋ねようとする綾をやんわりと制止して、母は応接室を後にした。
 毒気を抜かれたように、綾はその場に立ちすくんだ。

 頭の中を母の言葉が巡っていく。
 長い間心のなかにわだかまっていたものが、少しづつ氷解していくような気がしていた。

 ----母のような人間がいる。そして自分は紛れもなくその人の娘で、その人の言うことには、認めたくないけれど一筋の真実も含まれている........。

 女としての生を純粋に全うしようとする母......。母の全存在を受け入れているという父....。
 そんな愛し合い方もあるのだ......。


 今、綾は、無性に鳩羽の腕に抱かれたいと思った。
 薬など関係なしに、鳩羽の全てを貪りたいという欲情が全身を満たしているのを感じた。

 ......私は......これからどう変わっていくの......?

 戦慄が綾の身体を貫いた。

 ----誰が何と言おうと、これから鳩羽に会いに行く。
 小さな決心をして、綾は応接室の扉を開いた。



(欲情・終わり)




 ←前の章へ
 






MENU  HOME

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送