紫の言いつけ通り、揚羽は学校を休み三日間ホテルで過ごすことになった。
 特に何かすることもなくテレビをつけてみると、やはりワイドショーでは新直木賞作家として紫の話題でもちきりだった。
 時期を同じくして芥川賞に決まった作家は取り立てて目立つエピソードをもつ人物ではなかったため、作品的にもビジュアル的にも衆目を集める紫が余計にクローズアップされるかたちになった。
 テレビカメラが、自宅の前で騒ぐファンたちの姿を映している。
 一種異様な光景だった。
 まるで紫をアイドルか芸能人とでも思っているようだ。
 ワイドショーのコメンテーターたちも、一作家がここまで注目されるのは極めて稀なことだと語っていた。
 そして一部ではあるが、紫の過去の作品ばかりでなく、出身大学や家族構成など立ち入った内容を放送するチャンネルもあった。
 思わずため息が出る。

 ・・・・やっぱり叔父さんの言うとおりにして良かった。あのまま家に帰ってたら・・・・。
 マスコミだけでなく、紫のファンにももみくちゃにされていたことだろう。
 確かにしばらくすればほとぼりは冷めるのだろうが.....。

 普段一緒にいるときはあんまり考えたことなかったけど、やっぱり叔父さんは私とは別世界の人なんだ....。
 あんなに才能があって、大勢の人に慕われて....。

 「む....らさき.....」
 はじめてその名をつぶやいてみる。

 なぜか少し心細いような、寂しいような気持ちになった。
 ほんの短い時間離れているだけなのに......いつしか揚羽の頬を涙が伝っていく。

 ややあって、ドアをノックする音がした。
 慌てて涙を拭い返事をすると、
 「俺だ」
 紫の声が聞こえる。

 ドアを開くと、眼鏡をかけ帽子を目深にかぶった紫が立っていた。
 「揚羽......」
 部屋に入るのももどかしい勢いで抱きしめられる。
 その力強さに、揚羽は張りつめていた心が溶かされていくのを感じた。

 涙の跡の残る顔を見つめ、紫は指先でその雫に触れながら言った。
 「ひとりにして悪かったな....」
 「う、ううん、大丈夫。ごめんなさい」

 揚羽は振り返って、お茶の支度をしようとした。
 紫はソファに座り、たばこの煙をくゆらせる。

 「マサさんにおまえの荷物を作ってもらって持ってきた。友達の予定の方は大丈夫だと言っていたな?」
 「うん。真由子っていう友達が一緒に来てくれるって。信頼できる人だから」
 「そうか....」
 
 紫は吸いかけの煙草を灰皿に押し付け、揚羽の淹れたコーヒーに口をつけた。
 何か考え込んだ様子で一点を見つめている。
 揚羽も一緒にコーヒーを飲みながら、ふと呟いた。

 「やっぱり叔父さんの言ったとおりすごい騒ぎになっちゃったね....。何だかさっきテレビを見ていたら、叔父さんがすごく遠い人みたいに感じちゃった.....」
 「揚羽....!」
 紫は強い視線で、揚羽の瞳を見た。
 「ばかなことを言うな。俺は今おまえの目の前にいる。こんなバカ騒ぎはいずれ終わるんだ。何も心配するな」
 「........」
 「不安なら何度でも抱きしめてやる」

 そう言って紫は揚羽を抱きかかえ、ベッドの上にふわりと横たえた。
 「別荘へまでは誰も追って来やしないから安心しろ。それに....俺の気持ちを決して疑ったりするな....」
 「叔父さん....」
 「おまえは余計なことは何も考えなくていいから....ただ俺のそばにいればいい」

 紫は揚羽の華奢な手首を取り、覆い被さるようにして唇を吸った。
 揚羽も不器用にそれに応え、舌を絡め合う。
 どうやって呼吸をしたらいいのかわからないほど激しくキスをされ、揚羽は眩暈を覚えた。
 
 ・・・・・信じてもいいんだ・・・・この人を・・・・。もう本当にひとりぼっちじゃない・・・・・

 全ての不安を消し去るように、揚羽は紫の中に身を委ねていった。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆



 数日後、揚羽は友人とともに別荘に旅立っていった。
 ほっと一息つく間もなく、次の作品の連載が始まろうとしている。
 初回分の締め切りを終えたら、すぐにでも合流する予定で、紫は執筆に取り組んでいた。
 しかし、受賞翌日ほどの熱狂ではないものの、まだ数人のファンが紫の自宅の周りを徘徊しているようだった。

 小休憩にコーヒーを飲みにリビングへ向かったところ、マサが慌てたように視線をそらす。
 訝しげに紫がどうしたのかと尋ねると、黙ってタブロイド紙のようなものを差し出す。
 大げさな見出しやスキャンダルなどで読者を稼ぐ、紫が普段では目にしない新聞だった。
 ポストの中に入っていたのだという。

 「........!」
 そこには一面に紫と揚羽の写真が載っており、衝撃的な見出しが躍っていた。
 かろうじて揚羽の目のところには黒い横線が引かれていたが、見る人が見ればわかる。
 何より、そこには汚らしい言葉が並んでいた。

 ”直木賞作家・獅子堂紫の禁じられた愛欲”
 ”『蝶の寝床』のモデルは同居する姪・Aさん(17歳)”
 ”近親相姦の愛の行方は”..........

 「....麻倉っ......!」
 グシャリと新聞を握りしめ、紫は怒りにふるえた。
 迂闊だった。
 麻倉がこんなに早く仕掛けてくるとは......。

 紫はあの日以来、付き合いのある出版社や新聞社に麻倉の動向を尋ねていた。
 しかし全く足取りはつかめず、何の動きも見せなかったため、少々油断していたのも事実だった。
 それが意表を突いて突然復讐を開始した......。

 まだ響子のことを引き摺っているのか.......。
 無理もない。あいつにとって最愛の女だったのだから。

 だが何の関係もない揚羽をこんな風に追い詰め、貶めるやり方はどうしても許せなかった。
 

 紫は急遽予定を変更し、即座に揚羽の待つ避暑地の別荘に旅立つことを決めた。
 連載の担当者に連絡をし、原稿の受け渡しなどについて打合せをする。
 まだ彼は例の記事を読んではいないようで、明るい口調で対応をしていた。
 
 記事のせいで逃げたと思われても構わない。
 今はただ、揚羽のそばに行って不安を取り除いてやらなくては......。

 とまどいを隠せないマサを尻目に、紫は荷物を車に詰め込み、東京の自宅を後にした。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆



 一方、避暑地の町に来ていた揚羽と真由子は、それなりに楽しい日々を送っていた。
 何も言わずこの別荘行きに付き合ってくれた真由子に、揚羽ははじめて紫への恋心を告白した。

 「ま、そうだろうなとは思ってたけどね」
 「..........」
 互いに血のつながりを越えて思いが通じ合ったという話をしていたら、真由子が予想通りの質問をしてきた。
 「で、あんたら最後までいっちゃったの? まあ聞くまでもないか」
 揚羽は真っ赤になってこくりとうなずく。
 真由子はそんな揚羽を見て、同性ながらかわいいと素直に思った。
 紫の気持ちもわかるような気がする。

 「でもさすがにマスコミもここまでは追いかけてこなさそうだから、安心だよね」
 「そうかな.....。だといいんだけど」
 表情を曇らす揚羽に、真由子は明るく声をかけた。
 「大丈夫だって、だいいちここの持ち主は揚羽の死んだお祖父さんなんでしょ。わかりっこないって。よっぽど親しい人しか来たことないはずでしょ」
 「....うん、そうだよね。それよりせっかくふたりで旅行に来たんだから、楽しまないともったいないよね」
 揚羽が自分に言い聞かせるように言う。
 「そうそう、その調子。じき最愛の紫さんも来るんだろうから、今のうちに羽のばしとこうよ」

 揚羽は真由子のあっけらかんとした言い方が嬉しかった。
 世間的には誰も認めてくれないであろう紫との恋......。
 それを親友に打ち明けることができ、さらに許容してくれたのだ。
 
 「あ、そろそろ買い物行って来ようかな」
 真由子が時計を見ながら言った。
 「ごめんね。真由子だけに行ってもらって」
 「そんなの気にしないの。しょうがないでしょ。捻挫してるんだから」

 今日の午前中のこと、近所の別荘にやってきた子供たちが野球をしていて、揚羽の別荘の中屋根に球を乗せてしまった。
 ボールの予備が無いということで、揚羽がはしごをかけて取ってやったのはいいが、今度は降りるのに失敗して足をくじいてしまった。
 とりあえず湿布で応急処置はしたが、休日で病院もやっていないので、紫が来てから車で連れて行ってもらおうということになったのだった。

 「じゃ、なるべく早く帰って来るね」
 「うん、気をつけて」
 真由子が鍵をかける音がする。
 一応びっこをひいて歩くことはできるが、大事を取ってなるべく動かないようにしている。
 リビングのソファにもたれかけ、読みかけの文庫本に手を伸ばそうとした瞬間、玄関からチャイムが鳴った。

 まさか、叔父さん....?
 予想よりは早いが、すぐ後を追うと言っていたし、仕事も切り上がったのかも知れない。

 期待に胸がときめく揚羽は、足を引き摺りながら無警戒にドアを開けた。

 ・・・・そこに立っていたのは麻倉だった。




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