「......あの、どちらさまですか?」
 揚羽はおそるおそる尋ねた。
 紫が到着したのだとばかり思い込んで、ドアを開けてしまった自分の迂闊さを悔やんだ。

 「突然、すみません。私、獅子堂くんの明応大学時代の同級生で木村と言います。獅子堂くんの賞のことをニュースで見てご自宅に連絡を取ってみたらこちらに向かったと聞いたものですから......。実はうちの別荘もこの近くにありまして、久しぶりに獅子堂くんに会えないかと尋ねてみたんです」
 偽名を使いつつ、紳士的に淀みなく話す麻倉の態度に、揚羽はほっとした。
 身なりもきちんとしていて、眼鏡の奥の視線も優しい感じがする。
 確かに紫は明応大学出身だし、なにより表札すらかかっていないこの別荘の場所を知っていることが、紫の友人だという証ではないか。
 わざわざお祝いを言いに来てくれた人をすげなく帰すわけにもいかない。
 だが自分ひとりしかいないこの家に、初対面の男性を招き入れるのはためらわれた。
 揚羽は迷いながら言葉を返した。

 「そうですか。いらして下さってありがとうございます。....あの、私は姪の揚羽と言います。実は叔父はまだ到着していないんですけど......」
 
 「ああ、そうなんですか。ではまた出直してきますので、これを獅子堂くんに渡していただけますか?」
 麻倉はそういって鞄から白い封筒のようなものを取り出した。

 揚羽がそれを受け取ろうとドア口に向かっていくと、突然麻倉の目が光り、強い力で揚羽を引き寄せそれを口元に当てた。

 ....何が起こったのかわからなかった。
 意識が朦朧となって、全身の力が抜けていくのだけを感じる。
 揚羽は麻倉の腕の中に沈んでいった。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆




 小一時間が過ぎた頃、紫は別荘に到着した。
 車から荷物も運び出さずに、慌てて入り口に向かう。

 「..........!?」
 無用心にもドアが少し開け放たれている。
 紫は嫌な予感がした。

 「揚羽! 揚羽、いないのか?」
 家の中に向かって大声で呼んでも、何の返事もない。
 一緒に泊まっているはずの友達の姿も見えないので、ふたりでどこかへ出かけたのだろうか.......。
 携帯もつながらず、苛立ちが募る。
 
 しばらくしてインターフォンが鳴り、「ただいまあ」という元気な声が聞こえてきた。
 どうやら友人の真由子とかいう女性らしい。

 「遅くなってごめんねえ........えっ、あれっ!?」
 居間のテーブルに紫が座っていたので、真由子は驚いて後ずさりする。

 「揚羽......揚羽は、一緒じゃないのか!」
 血相を変えて問い詰める紫に、真由子は圧倒された。
 「あ、あの、揚羽はどうしたんですか? 留守番してるはずなんですけど......」

 「留守番?」
 「......は、はい、えっと、揚羽はちょっと足を捻挫しちゃったんで、私が一人で買い出しに行ったんですけど.......」
 「捻挫......じゃあ、揚羽はいったいどこに....まさか......!」

 RRRRRRR..........。
 すぐにでも揚羽を探そうと、外に向かった紫の背後で電話のベルの音が鳴った。
 慌てて受話器を取る。

 「もしもし、獅子堂ですが」
 受話器の向こうからは、半ば予想していた相手の男の声が聞こえた。

 「麻倉だ」
 「..........!!」
 紫は息を呑んだ。

 「やっと着いたようだな。高速で事故があったわりには早いじゃないか」
 「そんなことはどうでもいい。一体何の用だ」
 内心の動揺を悟られまいと、紫は低い声で言った。

 「わかってるんだろ? おまえの大事な蝶々さんは今俺の手元にいる。標本にされたくなかったら、俺の次の指示を待て。いいな、また電話する」
 「待て、揚羽は無事なんだろうな、おい!!」
 麻倉は、一方的に通告して電話を切った。
 揚羽の安否については何も知らせようとしない。

 紫は受話器を壊してしまいそうな勢いで叩きつけた。
 何の関係もない揚羽を使って自分に復讐しようとする麻倉......。
 東京から遠く離れたこの地に揚羽を隠しておけば大丈夫だと思い込んでいた自分の浅はかさを呪う。
 大学時代、一度だけ一緒に来たこの別荘のことを麻倉は覚えていたのだ....。

 「あの、揚羽に何があったんですか? 揚羽は無事なんですか!!」
 心配そうに、そして揚羽を置いて買い出しに行った自分を責めるように、涙を浮かべながら真由子が尋ねる。

 紫は一瞬冷静さを取り戻した。
 「.....多分、今はまだ大丈夫だ。君が責任を感じることはない。元はといえば、全て俺のせいだから......」


 忘れかけていた。
 いや、忘れようとしていたあの日のことを......。
 愛情が狂気を生み、何もかもを焼き尽くす業火のような激情を目の当たりにしたこと......。
 そして人と人とのつながりを虚しく思い、いつしか他人との間に距離を置きはじめたこと.......。
 幽霊のように突然現れた麻倉が、否が応でも思い出したくない記憶を呼び覚ます。
 そして、かつて友人だと思っていたその男は、紫がやっと巡り会えた愛する少女を攫っていった....。

 とにかく今は麻倉からの連絡を待つしかない。
 電話を待っていなくてはならず、探しに行くことすらできないのだ。
 こみあげる怒りを抑えながら、紫はテーブルの上に突っ伏した。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆



 薄暗がりの中で、揚羽はぼんやりと目を開いた。
 頭の中がズキンと痛む。
 意識はまだ霞がかかったように朦朧としていた。
 ......ここ....どこ......?

 「気がついたか」
 「........っ!」
 突然声を掛けられ、次第に意識がはっきりしてくる。
 手錠をかけられた、自由にならない手首に気付き、更に恐怖心が頭をもたげてきた。

 木村と名乗った紫の同窓生......麻倉は眼鏡を外していた。
 ソファに寝かされていた揚羽の身体を起こそうとする。
 麻倉に肩を触れられ、揚羽がビクッと震える。

 「そんな風に震えるなよ。襲いたくなるだろ」
 さして可笑しくもなさそうに、ククッと声をもらす。
 麻倉の端正で青白い顔の中で、瞳だけが濁っているように見えた。
 

 揚羽は迫り来る怯えと闘いながら、なぜ麻倉がこんなことをしたのか、考えた。
 確かにこの男は紫となんらかの関係にあるのだろう。
 そして自分を拉致して満足げな表情を浮かべている。
 一体何の目的で........。
 揚羽には知る由もなかった。


 「もう、あいつとは寝たのか?」
 不意に麻倉が口を開いた。

 「........」
 答えようがなく黙っていると、麻倉が急に声を荒げた。
 「あいつと寝たかどうか、聞いてるんだ、響子! おまえを誰よりも愛しているのは俺なのに......!」

 「......!?」
 きょうこ......誰?......

 麻倉の目は普通ではなかった。
 ものすごい力で、揚羽を抱き寄せる。
 「離......して......」
 精一杯にもがいて逃れようとするが、手錠が邪魔をして身動きができない。
 大柄な麻倉に押さえつけられ、声も出せなくなってしまった。

 「響子......俺が想いを遂げる前におまえはあいつと一緒にいってしまう気なのか....!俺はずっと、ずっとおまえを......」
 そう言って、麻倉は揚羽の服を引きちぎった。

 「いや、やめ....てぇっ......!!」
 揚羽の脳裏に、紫の顔が浮かんだ。
 助けて! 叔父さん、助けて......!!

 顕わになった揚羽の乳房に、麻倉が顔を埋めていく。
 絶望的な思いで足をばたつかせ、拒む揚羽の声は虚しく消えていった。 




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