第四章


 長屋に到着した狼は、清子を車から降ろし、布団を敷いた。
 「俺はこれから、医者のところに八重子を迎えに行って来るから、おまえはここで休んでてくれないか」
 「八重ちゃん、どうかしたの?」
 「ああ、持病の発作が出て、医者に診てもらった....」
 清子がこの家に来て以来、目立った発作が起きていなかった八重子だったが、一体どうして悪くなってしまったのか....。自分が急にこの家に入り込んで、気持ちに負担をかけていたのだろうか。
 そんなことを思い、浮かない顔をしていた清子に、狼が言う。
 「また何かくだらないこと考えてるのか?」
 「なっ、何がくだらないことよ」
 気色ばむ清子を見て、狼はフッと笑った。
 「だいぶ元気になってきたかな....。 清子、八重子の発作はおまえのせいなんかじゃない。むしろ今まで決心が付かなかった俺のせいなんだ」
 「決心?」
 「・・・・・・」
 狼は黙って、身支度を始めた。
 「帰ったら話す。とにかく今はあいつを迎えにいかないと」
 「気をつけて。早く帰ってきてね」
 「ああ....」
 そう言って、狼は再び車を牽いて医者の青江宅へ向かった。
 
 残された清子は、布団に横たわり、まずは自分が体調を元に戻さねばいけないと、眠れない目を閉じた。
 けれども、頭の中に浮かんでくるのは狼のことばかりだった。
 伯爵の私生児だった狼....。
 八重子の持病の悪化は自分のせいだという苦しげな横顔。
 そして「決心」とは一体どういうことなのか....?

 考えれば考えるほど目がさえてしまい、清子は箪笥の上からトロイメライのオルゴールを持ってきて、ねじを回した。
 この優しい音色を聴いているときは、まるで亡くなった母が傍にいるように安らかな気持ちになれる。
 「お母さま....私をもっと強くして....」
 形見であるその箱をぎゅっとにぎりしめて、清子は呟いた。
 朝からいろいろなことがありすぎて張りつめていた心を、いつしか睡魔がゆるやかにほぐしていった。

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 ・・・・二時間ほど眠ったらしい。
 清子が目覚めたときには、窓の外の陽が落ちかけていた。
 「起きたのか」
 傍らには狼の顔があった。
 「ゆっくり休めたみたいで良かったな」
 「ええ、だいぶ楽になったわ....」
 ゆっくり上体を起こそうとすると、袖から小さい封筒のようなものが落ちた。
 「何かしら」
 拾い上げて、封を開けると、中から紙幣が何枚か出てきた。
 「じいが入れてくれたんだわ」
 紙幣を握りしめ、清子は狼に向き直った。
 「狼、これで八重ちゃんの診察代が払えるわ。早く持っていって....。 あら? 八重ちゃんは隣の部屋で寝てるの?」
 「・・・・八重子はまだしばらく医者の家に預かってもらうことになった」
 「えっ、どうして?」
 「・・・・・・」
 目を閉じて、狼は答えた。
 「家に戻しても、またすぐ発作が起きる可能性があるから、当分の間様子をみてくれるそうだ」
 「・・・・そう、可哀想に。苦しいでしょうね・・・・」
 自分のことのように悲しげに眉根を寄せる清子を見て、狼が切り出した。

 「清子、さっき俺が言ってたこと覚えてるか?」
 「決心しなきゃ、ってこと?」
 「ああ」
 狼は箪笥の引き出しから、古ぼけた数枚の写真を取り出した。
 「この人....狼のお母さん?」
 そこには狼によく似た、艶やかに微笑む美貌の女性が写っていた。
 傍らには少年の頃の狼と、山脇伯爵と思しき口ひげの男性が立っている。
 その写真は一度破いたものを後でまた貼り付けたような跡があった。
 「これはまだ八重子が生まれるずっと前のものだ」

 そして他の数枚の写真には、赤ん坊の八重子を抱く狼の母親や、見知らぬ男性の姿を見て取ることができた。
 「俺のお袋は元芸者で山脇の妾だった....そこまでは知ってるな?」
 清子は頷いた。
 「山脇は元々商人の素性だったが、大金を積んで落ちぶれた貴族から爵位を買ったらしい。そして、同じように金の力で俺の母親を身請けして、愛人にした....」
 「・・・・・・」
 「はじめのうちは屋敷やら使用人やらをあてがわれて、優雅に暮らしていた。でも俺が8歳のとき、突然見知らぬ男たちが入り込んできた。そして俺の目の前でお袋を蹂躙したんだ」
 「・・・・・・!」
 「山脇は病気で先妻を亡くしていたが、新しく後妻を迎えたんだ。古くからの名門貴族の娘で、成り上がりの新興貴族に箔をつけるには格好の相手ってわけさ。・・・・・それで、そんなお嬢様を迎えるのに俺のお袋が邪魔になったんだ」
 「そんな....ひどい」
 清子は唇を噛んだ。
 「そして、俺たち母子は突然寒空の下に放り出された。わずかばかりの金と衣類を持たされて....。もともとお人よしで生活力もないお袋と俺は行き倒れ寸前で、ここの長屋の人たちに拾われたんだ。そのときこまごまと面倒を見てくれたのが、隣の権の両親だ」
 狼を慕い、八重子を自分の妹のように可愛がる権の顔が思い浮かぶ。
 「お袋はこの長屋に住んでいた男と恋仲になって、八重子を産み落としたあと、俺たちを捨てて出て行った。今では生きてるのか死んでるのかもわからない.....」

 清子の目から涙がはらはらとこぼれ落ちた。
 大きな邸宅の中で何不自由なく暮らし、時に父や使用人たちにわがままを言い、ささいなことで悩み傷ついていると思っていた自分が恥ずかしく思える。
 そんな清子の肩を抱いて、狼は言った。
 「お前が泣くことはないんだ。こんな話、世間にゃごろごろ転がってる。・・・・一度捨てようとした写真を取っておいたのは、八重子が実の母親の顔を見たがったのと・・・・俺の怒りを忘れないためだった・・・・けど・・・・」
 狼は苦脳を抑えようと、拳を握り締めた。
 「今まで食うだけで精一杯で八重子の体のことを思いやってやるゆとりがなかった。でも俺がこの世でいちばん憎いあの男の力を借りなければ、もうどうしようもないのか....」
 「どういうこと....?」
 清子は狼の顔を見つめた。

 「お前とパーティーに行った日、山脇も来ていたそうだ。そのとき、お袋に瓜二つの俺を見かけて、驚いて調べたらしい。何日かして山脇家の使いが俺のところにやってきた」
 「・・・・それで?」
 「山脇家では先妻の一粒種の長男が事故で亡くなったばかりらしい。後妻は子供には恵まれなかったから、後継ぎとして俺を迎えたいなんてほざきやがった」
 
 清子は衝撃を受けた。
 山脇家といえば、清子の父とは事業の上では根深い対立関係にある。決して相容れない犬猿の仲だった。
 そんな家の隠し子だっただけではなく、よもや後継者となる可能性があるとは.....。
 父はこうした状況を見越した上でも二人の仲を反対したのだろうか。
 そこまでは清子にはわからなかった.....。
 「もちろん、そんな話俺はその場で断った。でも、八重子は....八重子はすぐにでも大きな病院に見せなければ、もう命の保証ができないと言われた....」
 
 「・・・・・・!!」
 まるで最後通告を突きつけられた気持ちで、清子はその言葉を聞いていた。
 狼にはもう選択肢がない。
 八重子を大病院に入院させ、手厚い看護を受けさせるためには、気の遠くなるような大金がいる。
 狼は死ぬほど憎い相手の要求を呑んで、その金を得るしかないのだ。
 清子の父とて、対立する山脇家の血をひく狼に救いの手を差し延べることはあり得ないだろう....。

 「・・・・まだ本調子でないお前にこんなことまで話して悪かったな。少ししゃべりすぎた・・・・」
 ふと我に帰ったように、狼は清子に詫びた。
 「だが、俺が恨みの気持ちを抑え込んで、山脇家に入ったとしても、お前だけは絶対に連れて行く。俺たちはどこまでも一緒だ」
 父と山脇伯爵の関係など知る由もない狼は続けた。
 
 清子は涙を流した。
 狼の言葉が身体中に沁み入って、ただただ嬉しかった。
 けれども同時に、この先狼と離れて抜け殻のようになった自分を想像するのは難しいことではなかった....。
 

 「狼、抱いて・・・・強く抱きしめて・・・・」
 そう言って、清子は自分から狼の唇に自分の唇を重ね合わせた。
 一瞬、清子の身体を気遣ってその腕を解き離そうとした狼だったが、声を震わせて自分を求める姿が何よりも愛おしく、本心に背くことなど到底できるはずもなかった。
 一旦離した唇を再び捉え、舌を深く差し入れる。
 切なげに喘ぐ清子の声が熱を帯びてきた。 
 「たくさん、狼の印をつけて・・・・私を・・・・傷つけて・・・・」
 狼は清子の細い身体を痛いほどに抱きしめた。
 そして清子の言葉どおり、あらゆる箇所を愛撫し、強く唇で吸い上げた。
 紅く染まった愛の証が、全身を覆っていく。
 身動きできないように両腕を抑え、何度も乳首を噛む。
 「ああっ........」
 清子はビクンと感電したように反り返り、快感を訴えた。
 狼もそんな清子を見ているうちに、自分を抑えることができなくなっていた。
 「・・・・・・・っ!!」
 清子の羞恥心など構わずに、足を両側に大きく開き、突き入れた。
 「あっ・・・・く・・・・」
 内蔵にまで達しそうな狼のものを受け入れて、清子は苦しく、そして悦びの声を上げた。

 ・・・・もうこれが最後かもしれない・・・・
 そんな哀しい予感を胸に抱えながら、清子は狼に貫かれている自分の身体が悦楽にすすり泣くのを感じていた。




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