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  「綾が!? 実家に帰っただと?」
 穐と絹が驚きの表情を浮かべる。

 ----鳩羽は、総代室に来ていた。
 昨日の放課後、綾が図書室近くからいなくなって心配していた鳩羽だったが、今朝になって担任教師が綾の不在を告げた。
 突然に連絡があり、綾はその日のうちに実家に戻ったとのことだった......。

 「......知らなかったのかよ」
 本来ならば口もききたくない穐のところを訪ねてきたのも、綾の様子が気がかりだったからだった。
 綾はクラスメートたちとの会話を聞いていたに違いない......。
 きっと今頃は自分への不信感にあふれ、傷ついているだろう。


 ”そんな甘ったれた行為....許されない”
 ”若狭の人間に......こんなことあってはならない”

 穐が綾のことを責め、それを絹がとりなしている様子を、鳩羽は苦々しい思いで聞いていた。

 ”お前たちのそんな考え方が、あいつを追いつめていたことに全く気づいていないのか......”

 そう訴えてやりたい衝動を抑えながら、鳩羽は自分が人のことなど言えた義理ではないことも重々承知していた。
 今回綾が突然に実家に帰ったのは、紛れもなく自分のせいなのだから......。


 「理由がどうであれ、連れ戻す」
 穐は冷静に言い放った。

 「....フン.......」
 これ以上この場にいるのは時間の無駄だった。
 穐は綾のことなど何もわかっていない。
 だが、今の自分には綾を迎えに行く資格はないのだ........。

 黙ったまま、鳩羽は総代室を後にした。


 照りつける太陽が、まるで素肌を刺すように痛い。
 どんなに焦っても、今は穐に任せることしかできないのが歯痒かった。


 微かに掴みかけていたような綾の心が、あっという間にすり抜けていった。
 これも自業自得かと、鳩羽は寂しく笑った......。






 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 「どうして話す気になったんだ........?」

 「......さあ......なぜだろうな......」

 朱実の淹れたブラックのコーヒーを飲みながら、鳩羽は寮のベッドの上に足を投げ出し、壁にもたれていた。

 「ここ最近、ずっとおまえと綾の様子がおかしいのは気になってた.....でも....」

 「....でも?」
 鳩羽が尋ねた。

 「ふたりの間に決して踏み込めない何かがあるような気がしたんだ.....。だからずっと待っていた。おまえが話してくれるのを」
 朱実はまっすぐに鳩羽の目を見つめ、言った。

 「....軽蔑しただろ? 軽蔑されてもしょうがないようなことを俺はあいつにしたよ。憎まれて当然さ」
 鳩羽は自嘲気味に笑った。

 「............」

 「そりゃあ、ショックで何もかも嫌になるよな。好きでもなんでもない男に脅された挙句に、自分のファックシーンが学校中に広まっちまうかもしれないんだから....」

 「もうやめろ!」

 「朱実........」
 鳩羽は目を見張った。
 いつも物静かな朱実が、強い口調で鳩羽の言葉を遮ったのだ。

 「......そんなに、自分を貶めるような言い方はよせよ」

 「............」
 鳩羽は黙りこくった。


 「........確かにお前のしたことは残酷かもしれない。だが俺は、おまえのことを責めたりなどしない」

 「..............!........」


 「......一年のとき、おまえと綾がクラス委員に指名されたよな....。最初はどうなることかと思ったけど、いつの間にか二人でお互いに足りないところを補い合って、行事にしろクラスの雰囲気にしろ、うまくまとめるようになっていった。........そしておまえは常にトップクラスの成績を維持して、誰にも文句を言わせないよう、皆の噂や中傷をかわしていった。............それもこれも、全ては綾のためだろう?」

 「..........」
 いつになく多くを語る朱実に、鳩羽は圧倒されていた。


 「俺は......おまえが影にまわってどれだけ綾を支え、どれだけ綾を想っていたか、多少なりともわかっているつもりだ。だからこそ綾だっておまえを信頼したんだろう?」

 「........でも、俺はそんなあいつの気持ちを踏みにじった........自分の中の抑えきれない思いだけで」

 「......迎えに行けよ」
 苦しげな表情で呟く鳩羽に向かって、朱実は強く背中を押すように言った。

 「..........!」


 「......綾のおまえに対する気持ちは、憎しみだけじゃないはずだ」
 優しい表情で、朱実は言った。

 「......どうしてそう言いきれる?」

 「わかるさ。これでも観察眼は鋭い方なんだ」
 朱実の冗談とも本気ともつかない物言いに、鳩羽は苦笑した。


 「.......今は......まだダメだ。あの男が今日あいつのところに向かってる」
 「穐が迎えに......? そうか......」


 「つまらない話を聞かせて、悪かったな........」
 鳩羽は煙草の火を点けながら、呟いた。

 「いや........」
 朱実もコーヒーに口をつけた。
 「話したいことがあれば、話せばいい。聞き役と旨いコーヒーを淹れることくらいはできるから」

 鳩羽は不意に胸が熱くなった。
 入学して偶然に同じクラス、同じ部屋になって以来、学院のアウトサイダーだった自分を偏見の目で見ることなく、自然に友として受け入れてくれた朱実......。
 鳩羽にとっての光は綾だけでなく、朱実も同様であったのだ。


 「とにかく、穐が帰ってきてからの話だな.........」
 「ああ......」


 ----本物の恋も友情も、はじめて知った。
 ブラックのコーヒーが、心地よく身体に染み渡っていく....。


 無性に綾に会いたかった。
 綾は今、何を思っているのだろうか......。

 たとえ許せなくても、憎んでいても、自分のことを心の中に留めていて欲しかった。

 ただそれだけが、今の鳩羽の願いだった......。





 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 翌日、鳩羽は図書室で、綾が落とした万葉集の本を読んでいた。

 ふと目に止まった和歌は、まさに今の自分の心境を詠んでいるかのようだった。

 ”皆の欲しがる殿上人..........嫉妬に駆られた勢いで身体だけを奪った...........。”
 ”けれども所詮、心まで手に入れられるはずもなかったか.........。”

 鳩羽は自嘲気味に呟いた。


 つと、先日鳩羽の持っていたビデオについて騒いでいたクラスメートたちが、近くにやってきた。

 「あ〜、鳩羽、何だよあのビデオ」
 「K-1なんて男の裸ばっかじゃねーか。エロじゃなかったのかよ」
 男子生徒たちが口々に不平を言い合っている。

 「......誰が言った」
 既に彼らの姿は鳩羽の視界には入っていなかった。

 「そんなモノ、最初からありゃしない........」
 頬杖をつきながら、鳩羽は冷ややかに言葉を漏らした。

 ---そう、綾をおびやかすビデオなど、本当ははじめから存在しなかったのだ..........。
 それは綾を繋ぎとめておきたいがための、単なる小道具でしかなかった。




 図書室を後にした鳩羽は、カバンを持って寮に戻ろうとしていた。
 穐はもう帰ってきているのだろうが、自分からあの総代室に出向く気には、どうしてもなれない。

 
 すると前方から、馬のひづめの音が聞こえてきた。
 やがてその大きな影が鳩羽のすぐ前に立ちはだかった。
 長い黒髪にがっしりとした胴着姿の男が、馬上から鋭い言葉を浴びせる。

 「貴様だな。綾に傷をつけたのは......」

 「若狭が?」

 「あれは何も言わん。貴様の目的は、身体か? それとも....」

 「さてね、そうだったらどうする? 総代の腰巾着さん」
 鳩羽はわざと挑戦的な態度で応じた。


 「我が従妹を汚した罪......返答次第では、その胸....射抜く!」
 殺気すら感じさせる視線で、穐は鳩羽に矢を向けた。

 「...........」
 鳩羽は怯まなかった。
 穐の本気の矢に狙われたら、命すら危ういとわかっていたが、不思議と心は平静だった。


 「あいつが......それを望むのなら矢を射ろ」

 「..............」

 「あいつにとって......それが蹂躙でしかないのなら、俺は『安見児』の心なんかひとつも得られなかったってことだからな......」


 目を閉じて静かに呟く鳩羽を見据えながら、穐はしばらくして弓を下ろした。

 「行け」

 「..........?」

 「外泊届は受理しといてやる。 お前が行くんだ」

 「若狭........」
 穐の言葉に、鳩羽は驚きを隠せなかった。

 「......綾を救えなければ、今度こそ本当に殺す......憶えておけ」
 そう言い残して、穐はその場を立ち去った。


 鳩羽はその後ろ姿をしばしの間見つめていた。
 思いもよらない穐の言葉だった。


 
 自分がなすべきこと、言うべきこと........それは........。

 とにかく綾に会わなければ何も始まらない。

 

 眼前に開けた道を、鳩羽はただ突き進むのみだった。







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