幾度も肌を重ね合わせているうちに、ふたりの関係は大きく変わっていった。

 もはや「優等生のクラス委員同士」でも「気軽に話せる友人」でもない。
 ましてや”相愛の恋人”でもない.......。
 鳩羽の心の抑制のみで保たれていた関係は、とうに終わりをつげていた。

 あらためて、鳩羽は綾に溺れていた。
 綾を脅迫しているという罪悪感を自覚していながらも、綾の体温を....綾の漏らす吐息を....手放すことなど、もはや不可能だった。

 一方綾は、迷い、悩みながらも心の底から鳩羽の存在を拒絶することができなかった。
 鳩羽は、決して聞きたくなかった「若狭の姫」という言葉を使いながら自分の中に入り込んできたのに、ふとしたときに、綾が「ただの普通の女」であるという真実を言い当ててくる。

 ....徐々に鳩羽に慣らされていく肉体の悦びを認めたくはなかった......。
 長い間穐を想い続け、あれほどまでに穐と桃のことで悩んでいたというのに、いま綾の頭の中は鳩羽のことで占められている。
 茶室での情事の映像が収められているというビデオテープのこと、それをタテに身体を奪われている事実。
 にもかかわらず、鳩羽に対して憎しみ以外の感情を持て余している自分。

 様々なことに身が入らなくなっていた。
 今まで決して疎かにしたことなどない生徒会の仕事、茶道部の活動、集中すべき授業......。


 ......そんな従妹の変化は、穐の目にはただ歯痒いものとしか映らなかった。





 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 ある昼下がり、鳩羽は、綾がひとりぼんやりとしながら遅めの昼食をとっているのを窓越しに見かけた。
 偶然通りがかったらしい穐が声をかけている。
 鳩羽は思わず、二人の会話に耳をそばだてた。
 二人の語らう姿に、どうしても平気ではいられないのだ....。

 「どうした? ひとりで飯とはめずらしいな」

 綾は、いつもなら嬉しいはずの穐との会話が、どこか遠い世界のことのような気がしていた。
 目を伏せ、小さな声で答える。
 「私だってたまには一人になりたくなるわよ......」


 「......綾、何か迷いがあるのか?」
 「..........!」

 「お前の茶に濁りがあるぞ」
 穐の声はなぜか冷たく綾の心に響いた。

 綾が何も言えずにいると、穐が続けた。

 「何があっても、お前は若狭家の人間だ。それを忘れるな」
 「........」

 それだけ言って、穐はぽんと綾の肩を叩いてからその場を離れていった。

 どんな状況においても、穐は若狭の名と英家を守るという責務を第一義としていた。
 頭では理解していても、今の綾にはつら過ぎる言葉だった。


 -----穐、あなたは.......何もわかってはくれないのね------

 綾を取り巻く状況、綾の苦しい胸のうちは、穐にはまったく届いていない....。
 それが思い知らされたようで、綾は虚しさの中で目を閉じた。

 そんな綾の心を見透かしたかのように、不意に鳩羽が背後から姿を現し、言った。
 
 「まーったく、あんな鈍感な男のどこがいいんだか」

 「....は、鳩羽くん!?」
 綾は驚いて振り返った。

 バツが悪く、つい素っ気無い口調になってしまう。
 「か、関係ないでしょ。それより一体....何の用なの....」

 「あー、昼寝しに来た。ちょっと膝貸せよ」
 「....ええっ!?」
 鳩羽はわざとふざけたことを言った。
 綾が泣きそうな表情をしていたから......。


 「少しじっとしてろよ」
 拒絶する暇を与えず、鳩羽の頭は綾の膝の上に収まっていた。

 もう七月だというのに、どこか涼しげな風が吹き抜ける学院内の庭園----。
 二人は黙ったまま、芝生の上に留まっていた。

 「....なぁ......あんな男、やめとけよ」
 目を閉じながら鳩羽がつぶやくように言う。

 「..........え........?」
 鳩羽の真意がわからずに、綾は戸惑いの言葉を投げかける。


 「........キスしよ、若狭」
 唐突に、鳩羽が綾の頬に手を触れて言った。

 「........!? な....イヤよ、何言って..........」
 困惑し、拒む綾に鳩羽は言った。

 「そっか、おまえには大義名分が必要だったな。 ......命令だよ。人が見ててもここでキスしな」

 鳩羽は上体を起こし、綾の身体を強引に引き寄せた。
 周囲のざわめきも意に介さず、鳩羽はいつもと同じように綾の唇に触れた。
 ....眩暈がしそうだった。

 「......見せてやれ......おまえは......ただの女だってな....」

 「..............」
 何かが綾の胸を貫いた。


 ----どうしてこの人なの? 私の欲しい言葉をくれるのは----

 いつしか綾の頬を涙が伝っていた。

 「......どうした?」
 鳩羽は綾の顔を見つめた。

 涙が止まらなかった。

 「.....泣くな....若狭....」
 鳩羽は涙の雫を指先で掬い取り、綾を自分の懐に入れて抱きしめた。

 ”綾を泣かせているのは自分なのだろうか......”
 切ない想いがこみあげてくる。


 「............」
 鳩羽の胸のあたたかさに、綾は戸惑いながら身体を預けていた。
 穐だけを見つめていたはずなのに、この気持ちは何なのだろう......?

 いつもとは違う空気が二人の間に流れた。

 けれどもまだ綾は、その想いが限りなく恋に近いのだということに気づいてはいなかった。

 そして鳩羽は、綾の心が少しずつ自分に近づいてきたということを、知る由もなかった。





 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 数日後の放課後だった。

 綾は本を返そうと、図書室に向かっていた。
 廊下の角を曲がりかけたところで、同じクラスの男子数人の声が聞こえた。

 「なぁ、鳩羽、これ落としたぞ」

 「あー?」
 面倒くさそうに返事をした鳩羽は、クラスメイトの手にあるミニビデオテープを見て、顔色を変えた。

 「なに? あやしいビデオなのか? 大事に持ってるなんて」
 その声につられて、一緒にいた別の男子生徒が鳩羽を冷やかし始めた。

 「違う......」

 「何だよ、エロなら俺にも見せろよ」
 「見たい、見たい」


 ----まさか......あのビデオ?----

 陰から様子を伺っていた綾の心臓が早鐘を打った。

 騒ぎ出した連中を制止し、鳩羽は煩わしげに言う。
 「わーかった、勝手に持ってけよ」

 
 綾は愕然としてその場に崩れ落ちた。
 「どうして......」
 

 ........どうでもよかったの........?!

 綾の心は深く傷ついていた。
 何もかも信じたくなかった。

 綾は持っていた本を落としたのも気付かず、その場を駆け出した。

 鳩羽はふとした直感で、綾の気配に気付いた。
 急いで後を追いかけようとしたが、既に誰の姿もそこにはなかった。
 
 「鳩羽、どうした?」
 クラスの友人たちが声をかける。


 ......ただ一冊、万葉集の本が、その場に残されていた........。







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