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----それまで全く興味の無かった学院内の人間関係に、鳩羽は少しずつ目を向けるようになっていた。
600年も続く大名家の出である英絹----それを影のように支えてきた若狭一族の末裔・若狭穐。
綾はその穐の従妹だった。
英家の分家筋に当たる名取家の跡取りが自分と同室の朱実....。
まだ1年生でありながら絹を頂点に、宝条学院高等部はこの4人を中心に回っていると言っても過言ではなかった。
中等部から宝条に入学したこの4人は、文武両道に秀で、上級生下級生を問わず羨望の対象となっていた。
特に紅一点の綾は、その美貌、立ち居振る舞いから「高嶺の花」と崇められ、また穐が唯一心を許す女性としてお似合いの恋人同士だと思われていたのだった。
苦しかった。
なぜこんなに綾のことが気になるのか....。
ただ容姿が美しいからだとか、そんなことではない。
言葉を交わした瞬間に、すうっと綾の一部が自分のなかに入ってきたような気がしたのだ。
....認めたくはなかったが、これが一目ぼれというヤツなのだろう。
かつては何人もの女と付き合い、誰と寝たのかすら覚えていない。
そんな自分が、まるでなす術も無く綾の幻に取り付かれている。
一方で鳩羽は、クラス委員として綾と行動を共にし、綾を見つめるようになって以来、微妙なズレのようなものを感じていた。
大勢の生徒たちの前では威厳すら漂う凛としたたたずまいを見せる綾だったが、なぜか鳩羽と一緒のときは屈託無く笑った。
中学時代の悪戯の数々や友達とのエピソードなどを話すと、まるで子供のように目を輝かせて続きを聞きたがる。
名門の子弟たちばかりが集うこの学院内にあって、異端児である自分が珍しいのには違いないが、それだけではなさそうであった。
綾は、どこか無理をしている自分を、無意識に鳩羽の前で曝け出してしまっているような気がしたのだ。
華やかな外見の内にひそむ小さな花のような女....。
ただ、今は、鳩羽はそれを口に出さずにいた。
言ってしまえば、この宙ぶらりんで心地よい綾との関係が壊れてしまいそうな気がしたから....。
----自分はいつからこんな臆病者になってしまったのだろう----
綾の姿を思い浮かべるたびに、鳩羽は苦笑いを噛みしめた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「......おまえ、好きな女いるのか?」
ベッドの上で、タバコの煙をくゆらせながら、鳩羽はポツリとつぶやいた。
消灯時間も間近な、男子寮の一室。
----出会ってから半年、秋の宵だった。
「....?どうしたんだよ、いきなり」
文庫本をめくっていた手を止め、朱実は鳩羽の方を向いた。
「お前の口からそんな台詞が出てくるとは思わなかったな」
朱実は本を机の上においてゆっくりと席を立った。
実家から取り寄せている銀座の老舗のコーヒーを淹れ始める。
部屋中に香ばしい匂いが立ち込めた。
「飲むだろ? コーヒー」
「....ああ」
鳩羽は手渡されたマグカップを見つめながら、灰皿にタバコを押し付けた。
一息ついて、まだ熱いコーヒーに口をつける。
「......普段の俺なら、人のことなんて興味ねーけど、何だかおまえの事を聞いてみたい気になってさ」
朱実はフッと微笑した。
「俺が察するに、おまえの想い人は綾か? だとしたら少々手ごわいぞ」
「なっ.......!」
気色ばむ鳩羽に、朱実は再び笑みをもらした。
「見てりゃわかるさ。綾の方は全く気づいちゃいない様子だけどな」
「..........」
確かに今の綾にとって鳩羽はただの友達に過ぎなかった。
朱実が鳩羽の気持ちに気づいたように、鳩羽も綾の視線の先にあるものを思い知らされていた。
幼い頃から綾を知る従兄、若狭穐。
綾が信頼し、綾の心を捉えている唯一の男....。
自分はただの毛色の変わったクラスメート、同じクラス役員としての関わりしかない。
その現実が、鳩羽の心を苦しめていた。
今まで「女」のことでこれほど、考え込んだり悩んだりしたことなどなかった。
自分にとって「女」は、甘い感情を持つものではなく、極端に言えば、その場限りの快楽の道具に過ぎなかったのだ。
だが今は違う。
嫉妬や焦り、行き場のない欲望が自分を支配しているのがわかる。
そんな自分を持て余し、魔が差したように朱実に言葉をかけてしまった。
他人の気持ちなど聞いたところでどうにもならないと知っていながら......。
「......鳩羽おまえ、結構遊び慣れてるようだけど、もしかして本気で惚れたのは綾が初めてじゃないのか?」
「............!」
それは確かに図星に違いなかった。
押し黙る鳩羽に向かって、朱実は続けた。
「誰だって本気の相手には戸惑ったり不器用になる。そういう相手にめぐり会えたのが今だとしてもちっとも遅すぎやしないさ」
「......はん、柄でもねーよ......」
鳩羽はそっぽを向いたまま、つぶやいた。
「......で、おまえの好きな女はどんなやつなんだよ?」
話を元に戻されて、朱実は一瞬黙った。
「俺は......俺のことはいいじゃないか」
ためらいがちに目を伏せる。
「何だよ、元はおまえにふった話だぜ。聞かせろよ」
にじり寄る鳩羽に、朱実はあきらめたようにため息をついた。
「........俺は、もうずっと大切に想っている人がいる。多分それは向こうには伝わってないんだろうが....」
「ふ....ん、おまえそれで満足なのか?」
ブラックのコーヒーを一気に飲み干し、鳩羽は尋ねた。
「満足なわけ....ないだろう。でも、こういうのは相手の気持ちもあることだしな」
「相手の気持ち? そんなもの....」
言いかけて、鳩羽は自分も朱実と同じ想いを抱えていることに気づいた。
「そんなもの、関係なかった。今まではな....」
再びタバコの火をつけ、鳩羽は大きく息を吐いた。
朱実は優しい男だから、自分の想いをむやみにぶつけたりせず、相手の様子を思いやりながら時期を待っているのかもしれない.....鳩羽はふとそんなことを考えたりもした。
だが、自分は......一体どうすればよいのだろう。
「.........つまらねーこと、聞いちまって悪かったな。俺、もう寝るわ」
「いや、いいんだ。おまえとこういう話ができるとは思ってなかったから、よかったかもしれない」
そう言って微笑む朱実に、鳩羽は少し照れたように言った。
「全く調子狂うぜ....」
やがて消灯のチャイムが鳴り響いた。
同じ寮舎のもと、棟を隔てて眠る、愛しい女に想いを馳せながら、二人は眠りにつくのだった。
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