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 「オリエンテーリング? 何だよそれ」

 定例の委員会が、間もなく始まろうとしていた。
 会議室に向かう鳩羽と綾は、並んで廊下を歩いていた。

 「ああ、鳩羽くんははじめて参加するのよね。毎年この時期に行われる行事なの。今日の議題よ」
 頷きながら綾は説明した。
 
 ----流鏑馬、茶会など、一般の学校では考えられないような行事が催されるのも、宝条学院の特色であった。
 深まりゆく秋.......。
 季節の風物を愛でながら学院内の広大な山林・庭園を散策する、という目的で行われるものらしい。
 ただ、「オリエンテーリング」という名を冠するように、単純に学院内を歩き回るわけでなく、いくつかのポイントを定め、そこにある印をチェックしてゴール、という遊び心も含まれているとのことだった。

 午後の授業を半日つぶしてまでやるほどのことか、と内心鳩羽は思ったが、とりあえず綾の説明だけは聞いておいた。
 鳩羽は、モトクロスが趣味ということもあり、そういう自然の野山を歩くこと自体は嫌いではなかった。

 「若狭は、そういうの苦手そうだな。お世辞にもスタミナがありそうには思えねえよ」
 「え、わかる? ただのんびり散歩したりするだけならいいんだけど、決められた場所を必ず通らないといけないっていうのはあんまり好きになれないのよね....」

 ため息をつきながらも微笑む綾が、愛おしかった。
 苦手なものを素直にそうだと答えてくれ、優しい笑顔を見せてくれるこの瞬間こそが、鳩羽にとって貴重な綾との交わりの時だった。

 二人は会議室に到着し、着席した。
 次期生徒会長の座に内定している、現副会長の常盤が議事の進行を始めた。
 真剣にメモを取る綾の横で、鳩羽は、来週開催されるというオリエンテーリングでは同じクラス委員として自分が綾をフォローしなくては、とぼんやり考えていた-----。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 当日、空は澄みやかに晴れ渡っていた。

 昼休みを終えた生徒たちが、上下ジャージの体操着姿でグラウンドに集合する。
 歩くペースなどは個人の判断に任されていた。
 ポイントをチェックする順番も、どこから回ろうと誰と一緒であろうと自由であった。

 友達と連れ立って歩く者、トップでゴールを目指す者、やる気のなさそうに出発する者.....様々だった。

 鳩羽は、綾が一人で歩き出そうとしているのに気づいた。
 クラスでは何人かの女子生徒と連れ立っているのを見たことがあるが、本質的に綾はひとりだった。

 決して仲間はずれにされているわけではない。
 むしろ、皆の憧れの存在であるがゆえに、微妙な距離を置かれていると言った方が正しいのかもしれない。

 綾が一人で山林の方へ向かう後ろ姿は、少し寂しげなような、でもそれを自分の中でひっそり受け止めているような、そんな気がした....。


 一方鳩羽は、クラス委員として点呼などの雑事があったため、他の生徒たちより出発は遅れたものの、順調にポイントをクリアし、無事ゴールした。
 開始から約二時間半ほど経った頃、急に空模様が怪しくなってきた。
 ほとんどの生徒たちもぼちぼち校舎に戻りつつある中、綾の姿だけがなかった。

 ふと、綾と寮が同室で、クラスでも比較的仲のよい女生徒が目に留まった。
 「おい、若狭まだ戻ってないのか?」
 「え、綾? 途中で会ったけど、何だかのんびり丘の方で花を眺めてたわよ。私はそれからしばらくして戻ってきちゃったからその後は知らないけど.....」
 丘があるのは、深い森の先だった。
 急に空が暗くなってきた今では、少々危険な予感がする。

 「それ、どれくらい前だ?」
 「うーん、一時間くらい前かなぁ」
 首をひねる女生徒に鳩羽は言った。

 「俺、ちょっと戻ってきてないやつ探してくるから、担任に言っといてくれ」
 「....あ、うん、わかった。伝えておきます」

 鳩羽は駆け出した。
 徐々に黒雲が空を覆いはじめ、ポツポツと雨の雫が鳩羽に降りかかってくる。
 お嬢ちゃん、お坊ちゃん学校でこんなことさせるなよ、と悪態をつきながら、鳩羽は綾の名を呼んだ。

 雨がひどくなってきた。
 丘からだと、この方向しかないという道を辿ってきたが、綾の姿が見えない。
 間違いなく迷っているのだ。
 「しょうがねえな、どこが完璧な姫様だってんだよ....」
 言いながら、鳩羽は心配と同時に苦笑いをしている自分に気づいた。
 自分だけが知っている綾....。
 茶道部、生徒会と役員をかけもちし、一年生でありながら皆に頼られる存在のはずなのに、通い慣れているはずの学院内で子供のように迷子になる......。

 瞬間、鳩羽の頭の中に、誰かの呼ぶ声が聞こえたような気がした。
 「若狭....?」

 迷いもせずに木々をかきわけて進んだその先に、綾が心細そうに立ちすくんでいた。

 「鳩羽くん......?どうして?」
 「だって、呼んだろ」

 鳩羽は手を差し出した。
 綾は、一瞬躊躇って、おずおずと手を伸ばした。

 「オリエンテーリングで迷子になるなんて、バカじゃねーの」
 「ごめんなさい....」
 しょんぼりする綾に、鳩羽は自分のジャージの上着をかけた。
 「行くぞ」

 綾をせきたてて、鳩羽は歩き出した。
 「鳩羽くん、ありがとう。でも寒くないの......?」
 「寒くねえよ。走ってきたからな。それより、もう皆とっくにゴールしてるぞ」
 「ええっ? 私、そういえば時計も忘れちゃって......」
 慌てる綾の姿を見て、鳩羽は思わず笑った。

 「....ごめんなさい。私がいないせいで点呼が取れなかったのね。委員失格だわ....」
 ------そんなんじゃない。
 鳩羽は言葉を呑みこんだ。
 ------おまえがいなかったから......他の誰でもない、おまえがいなかったから心配で探しにきたんだ......。

 「もういいから、早く行こうぜ」
 指先に触れた、綾の背中から体温が伝わる。
 鳩羽は迷いを振り払うかのように、綾の前を早足で進み始めた。





 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 グラウンドには既に生徒や教師たちの姿はなかった。
 後から小走りに鳩羽の後をついてきた綾が言う。

 「......鳩羽くん、ありがとう。これ、洗ってかえ....」
 綾の言葉を遮るように、鳩羽は綾の手から上着を取った。

 「気にすんなよ。それより、風邪ひくから早く着替えろよ」
 綾は頷き、もう一度礼を言ってから足早に校舎に向かった。
 そんな綾の後ろ姿が見えなくなった後、濡れそぼった服を肩に引っ掛けながら、鳩羽は男子更衣室に向かった。
 既に他の生徒たちは着替えを終え、教室に戻っているらしい。
 室内には誰も残っていなかった。

 ヒーターのスイッチを入れ、その前に椅子を置いた。
 濡れた上着を少しでも暖めようと、椅子の背もたれにかけようとしたその時、ふわりと甘い香りが鳩羽の前を通り過ぎたような気がした。
 つい先ほどまで綾の体を覆っていた上着......。
 髪の毛からこぼれた雨のしずくも、綾の鼓動も吸い込んだかのように、しっとりと濡れたその服を、鳩羽は思わず抱きしめていた。

 「若狭......」
 声にならない叫びを上げ、鳩羽は上着を握りしめながら、自分の中心で昂ぶりはじめたものに触れた。

 「う......」
 宝条に進学して以来、もう半年以上も女を抱いていない。
 生理的な欲望も限界に来ていた。

 綾を知る前までは、どんな女でもたいして違いはなかった。
 大抵は相手から自分へのアプローチを受け、そのつど頃合をみて性的交渉は行われた。
 鳩羽にとってそれは愛の証ではなく、ただ体の欲求を満たすための結合でしかなかった。
 それに気づいた女たちは、去っていった。時に涙を浮かべながら。

 誰かを切なく想いながら自分を慰めることすら、鳩羽にとってははじめての経験だった。

 ----どんなに想っても伝わらない......。
 手を伸ばせばすぐ届くところにいるのに、心の向いているその先には別の男がいる。

 「......若狭......若狭......」
 呻くように綾の名を呼びながら、鳩羽は妄想の中で綾を抱いた。

 雨に濡れた身体から衣服を剥ぎ取り、寒さにふるえる綾を自分の裸の胸の中に包み込む......。
 鳩羽は綾の頬に張り付いた後れ毛を指先でかき上げた。
 二人は見つめあい、必死に自分の背中を抱きしめようとする綾の腰を押さえながら、口づけ、舌を差し入れる。
 吐息を漏らす綾の声を止めてしまうかのように、鳩羽は舌を絡め合い啜り上げ、綾の力を失わせていった。

 甘い愛撫の合間に、綾の真っ白な肌に時々噛み痕のようなキスのしるしをつける。
 そしてまた繰り返し、敏感な箇所を揉みしだき、ついばみ、溢れる愛液をすくい上げ、何も考えられないほどに狂わせていく------。
 綾が苦しげに切なげに自分の名を呼び、絶頂を請う。
 そう、決してあの男の名前などではなく、鳩羽の名を口にしながら......。

 「欲しい......おまえが......」
 鳩羽は、激しく怒張した自分自身を強く擦り上げた。

 「......くっ.....................」


 放出したと同時に、漠としたやるせなさが鳩羽を襲った。

 ----なぜこんなに好きなのだろう......。

 ----なぜこの女でなくてはならないのだろう......。

 ----なぜ自分はこんな状況に甘んじているのだろう......。

 鳩羽はかぶりを振った。

 先ほどは気づかなかった晩秋の風が窓の隙間から入り込み、鎮まっていく身体を寒々とさせる。

 「綾.....」
 はじめて鳩羽は「あや」という名前を声に出した。

 今はまだ届きようもない、孤独な片恋だった......。






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