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 「......おまえ、最近何だか機嫌いいな」
 「えっ?」

 朱実の頬がかすかに赤みを帯びる。
 柄にもなく慌てながら、顎に指先を当てた。

 いつもどおりの夜------。
 鳩羽と朱実の就寝前の時間だった。
 
 「おまえの本命は、あの鳥貝っていう女かと思ってたけど、違ったんだな」
 「......何だよ。おまえはまたいつも唐突に......」

 鳩羽と視線を合わせようとせずに、朱実はベッドに横になった。

 「ずっと大切に想ってきた....なるほどな」
 「......! 何が言いたいんだよ!」

 更に赤面しながら起き上がる朱実に、鳩羽はフフと笑みを返した。

 「そう気色ばむなよ。よかったなって言ってんだぜ」
 「な....おまえ、紅子のこと何か知ってるのか!?」

 秘密主義で、無口でクールなはずの朱実がこんなにも動揺する様を、鳩羽はほほえましい思いで見つめていた。
 二年に進級して、朱実とクラスは分かれたものの、寮での生活は相変わらず一緒だし、教室もすぐ隣だから自然と朱実の動向は耳に入ってくる。
 一年生のときから噂になっていた鳥貝女史との関係を明かすでもなく、幼なじみだという女に至っては名前すら教えようとしない。もっとも鳩羽も綾以外の女生徒には全く関心がなかったので、知ろうとも思わなかったのだが....。

 この一年、ほとんど変わった様子のない朱実だったのに、なぜかここ数日は浮き足立ったような感じで、時に男でもドキッとするような優しい笑顔を浮かべたりする。
 そこでとうとう朱実の長年の想いとやらが実ったのではないかと、鳩羽は当たりをつけたのだった。

 案の定、朱実は語るに落ちて紅子の名前を口にした。
 可愛いやつだ、と思いながら、鳩羽は更に続けた。

 「やっと白状したな。....で、うまくモノにしたのかよ」
 「....もう、そういう言い方するなよ。......ただお互いに長い間言えなかったことを口に出しただけだよ......」

 「素直じゃねーな。結局二人とも両想いだったってことだろ?」
 「......と言うか、おまえのセリフを逆手に取るようだけど、やっと素直になれたってとこかな......」

 いつになく饒舌な朱実に驚きつつも、鳩羽は眩しいものを見るような気がした。
 戸惑いつつも、紅子との結びつきを語ってくれる朱実。
 秘めたる想いを成就させたのであろうその姿に、素直に声援を送りたい気分だった。

 「ま、何はともあれよかったじゃねーか。まあおまえのことだから大丈夫だとは思うけど、あんまりいちゃいちゃして見せつけるなよ」
 「まだそんな段階じゃないよ....」
 朱実は困ったように言い、ふたりはいつしか同時に笑いあっていた。



 「......全然話は変わるけど、最近若狭の様子がおかしいんだ。青白い顔してるのに具合が悪いか聞いてもなんにも言わねーし......。 おまえ何か知らないか?」
 タバコに火をつけながら、鳩羽は尋ねた。
 親戚同様の付き合いをしている朱実なら、何か手がかりを知っているかもしれない。

 朱実はしばらく黙っていたが、ゆっくり口を開いた。

 「........実は、穐の周辺でちょっとした噂が持ち上がってるんだ」
 「はぁ? あの男の話なんぞ興味ねえよ」
 鳩羽は憮然として、タバコをふかし始めた。

 「おまえにも関係あるかもしれないぞ。......どうやら穐に恋人らしきものができたらしい」
 「..........!何?」

 鳩羽は訳もわからず、怒りの感情がこみ上げてくるのを感じていた。

 「どういうことだよ? 若狭とのことはどうなってるんだよ!」
 「......その辺はプライベートなことだから俺にもわからない。ただ、穐がその噂の恋人と親しげに話してる様子は俺もちらっと見かけたことがある......。 俺が今までに見たことのない和らいだ表情をしていた......」

 「二股かよ!」
 激する鳩羽を制するように、冷静に朱実は言った。
 「いや、それはないと思う。酷なことを言うようだが、綾の気持ちはともかく、穐の方にその気はなかったってことだろう......」
 「..............」

 鳩羽は猛然と苛立った。
 綾はいじらしいくらいにひたむきに穐を見つめていて、ふたりの間に到底自分は入り込めないと思っていたから耐えてきた。
 だが穐は、綾の気持ちを知ってか知らずか、さっさと新しい女の存在を許してしまっている。
 ライバルがいなくなったという事実よりも、綾の気持ちを察するとやりきれない思いがした。

 「酷すぎる........」
 綾を想いながら呟く鳩羽の姿を見て、朱実は危うい予兆を感じていた。
 純粋すぎるほどの鳩羽の激情......。
 一見いい加減で天邪鬼なこの男の陰にひそむ真摯な情熱が、いつか爆発してしまうような、そんな気が------。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 綾は憔悴しきっていた。
 唯一の心の拠りどころであった穐の心が他の女性に奪われてしまったのだから......。
 絹の誇りを守るために、穐が自分の母に身を捧げていたときとは違う。
 身体ではなくて心なのだ。
 想像以上の喪失感が綾を襲っていた。

 だが綾はそれを極力表面に出さないようにしていた。
 どんなときでも若狭家の娘であれという、幼い頃から言われ続けた父親の言葉が、綾をがんじがらめにする。

 誰かの胸で思い切り泣きたかった。
 けれどもそれは叶わないことだった。
 ただひとつ自分の居場所だと思っていた穐の腕の中には、あの子がいるのだ。

 取り立てて目立たない、まるで小さな花のような茶道部の後輩。
 大輪の薔薇とたとえられながらも、綾は自分の本質をささやかな花だと思っていた。
 なのに穐は自分ではなくもうひとつの可憐な花びらを選んだ。
 ただ悲しくて........救いが欲しかった......。

 綾の脳裏にふと、いつも自分の近くにいて、遠慮なく叱ったり励ましてくれる鳩羽の顔が浮かんだ....。

 苦しい胸のうちを聴いて欲しかった。
 自分をすくい上げて欲しかった.........。




 そして綾は、話したいことがあると、鳩羽を茶室に誘った-------。






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